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東京高等裁判所 昭和24年(上)146号 判決

上告人 被告人 石井道藏

弁護人 岡崎一夫 柿原幾男

檢察官 野本良平関與

主文

本件上告は之を棄却する

理由

本件上告の趣旨は末尾添附の弁護人岡崎一夫、同柿原幾男名義の上告趣旨書と題する書面に記載の通りである。之に対して当裁判所は次の様に判断する。

右上告論旨第一点について

軽犯罪法はその規定の形式においては警察犯処罰令に似たところがあるけれども、その官僚主義的な精神を踏襲したものではなく、寧ろ日本國民の社会生活を文化的に向上せしめる爲最低限度に要請せられる道徳律を実体刑法化したものである。この事は同法の立法の経過並に全規定の形式及び精神から容易に看取せられる。されば所論日本國民の基本的人権を侵害する様なことは固より本法の企図するところでなく、寧ろ本法は日本國民の社会的倫理を文化的に向上せしめて、國民をして自由で幸福な生活を営ましめることを目的としている。從つて本法は日本國憲法の條規に違反するものではなく、之を適用して被告人を処罰した原判決に所論の違法は存しない。論旨は理由がない。

同論旨第二点について

軽犯罪法第一條第三十三号に謂う「みだりに」とは社会通念上正当な理由ありと認められない場合を指すのである。原判決が確定した事実は、被告人は判示の様に横須賀市長の管理に係る倉庫の表扉に同市長の許諾なくしてはり札をしたと云うのである。凡そはり札をされる他人はそれ相当の損害なり迷惑なりを蒙るのが通例であるから、それについての許諾を得ないことは第一点に対して説明した社会生活上の文化的義務に違背することとなり、それは即ち公序良俗に反するとも謂えようし、又新しい文化生活上の通念から謂つても好ましくないのである。殊に本件はり紙は記録上明かな様に縦約八十一糎横約二米十糎の大きいものであるばかりでなく、その内容は「日魯会社と久里浜漁港の醜関係を突く」と題し、其の内情を曝露する一面保守反動政権反対民主人民政府樹立を強調する特殊目的の宣傅文であつて普通の廣告ビラ乃至ポスターの類とは著しくその性質を異にするのである。從つて之を貼られる建物の所有者又は管理人が共の貼付を異議なく認容するか否かはその者の持つ思想、社会上の地位等の如何に依つては遽に予断を許されないであろう。故にかかる文書を他人の建造物に貼付しようとするならば仮令被告人に於て所論の如く「公人としての立場から不正に抗し勤労者を支援するという目的」を持つていたとしても右はり紙の形状内容等に鑑み一應予め管理者の了解を得た上ですることが常識である。然るに被告人は右許諾を得ないで之を貼つたのであるからその行爲は社会通念上正当な事由あるものとは謂うを得ない。原審も亦之と同様に法律を解釈し、被告人の行爲の違法性を認めるに十分な程度に事実を審理して、原判決に及んだものと解するを相当とする。論旨は理由がない。

同論旨第四点について

原判示倉庫が横須賀市の所有物であり、その意味で公共の工作物であることは明白である。從つてそれは社会的な意味において市民全体のものであるとは謂えるであろうが、法律的な意味では、たとい被告人が横須賀市の一市民であつても、被告人の所有物ではなく、公法人たる横須賀市の所有物である。而して横須賀市は被告人にとつては他人であるから判示倉庫は被告人にとつては他人の所有物である。而して右の倉庫が横須賀市長太田三郎の管理に係ることは原判決が証拠によつて認めるところであるから、それは軽犯罪法第一條第三十三号に所謂他人の工作物に属するものと謂うべきである。

されば判示事実に判示法條を適用した原判決は正当であり、論旨は理由がない。(その他の判決理由は省略する。)

仍つて旧刑事訴訟法第四百四十六條に從つて主文の様に判決する。

(裁判長判事 佐伯顯二 判事 久礼田益喜 判事 正田満三郎)

上告趣意書

第一点軽犯罪法の制定によつて廃止された警察犯処罰令は違警罪即決例と結んで長い間人民の解放運動を彈圧する有力な武器として役立つて來た。始めは隠然と後には公然と横行した拘留二十九日の蒸し返えしの不法残忍は今想い出しても憤激を禁じ得ない。法律の形をとり裁判所によつて適用させるようになつたとはいえ軽犯罪法は衣がえした大衆運動抑圧の具に他ならぬ、就中第一條の四は労働運動その他の職業的活動家の檢挙に便利であり、同條五、十三、十四、は街頭宣傅の自由を奪うに役立ち、同條二十八は團体交渉の妨害、同三十三は選挙等の宣傅抑圧に妙である。だからこの法案が國会に上程されるや政党その他の民主團体は一齊に起つて之を論難したのである。弁護人は憲法第二十一條、第二十八條、第三十四條に規定された人民の基本的人権を侵害する條項を含むこの法律は憲法第九十八條の規定によりその効力を有しないものと主張する、從つて被告人を本法により処罰した原判決は違法であると信ずる。

第二点原判決は被告人が横須賀市所有の建物に管理者である市長の許諾なく「みだりに」はり札をしたと断じているが、被告人は「日魯漁業久里浜支社の爭議を有利に導くため我々が持つている材料を社会に打開けて労働者を低賃金に依つて傭いこれによつて会社の得ている不当利得がどの位かと云事実を究明して世論を喚起する心算」であつたと主張している。彼は漫然と札をはつたのでもなく、私利私慾のためにやつたのでもない公人としての立場から不正に抗し勤労者を支援するという立派な目的をもつている。ここにいう「みだりに」とは単に所有者、管理者の許諾なく、という意味ではなく、その行爲が公序良俗に反するとか、社会通念上好ましくない意図に出ている場合等である。

原審が、許諾なくという一事のみをとり上げて「みだりに」はつたものと認定したのは、法律の解釈を誤つた違法がある。少くとも被告人が「みだりに」はつたと判断すべき論拠も証拠も示していないのは審理を盡さぬ違法がある。

第四点貼札をした家屋は横須賀市の所有に属する公共の建物である。廣くいつてそれは市民全体のものである、単に私法上の観念に從つて、形式的な所有権によつて云々すべき筋合ではなく、一市民たる被告人にとつてそれは「他人の」家屋と目すべきではない、原判決は從つて罪とならぬ事実を処罰した違法がある。(その他の上告論旨は省略する。)

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